Jan
6th
Wed
6th
身体は物として知覚されるより先に幻想される。あるいはむしろ、「わたし」が幻想するというより、身体自身が夢見ると言ったほうがいいだろうか。身 体が見る夢のひとつが「わたし」である、と。この幻想は、「わたし」に囲いを与えもすれば、「わたし」を引き裂きもする。他者を取り込みもすれば、他者を 排斥もする。共同体や国家へと吸引されもすれば、逆に、宇宙を懐深く引き入れもする。身体が紡ぎだすこの幻想は、ほかならぬその身体を硬直させ、ときに溶 かしもする。そのことによって、身体は生きる者の疼きの場所となり、また悦びの場所となる。おなじように、身体は、記憶を澱のように溜める場所となり、ま た記憶を溶かしてすくなくとも意識から消してしまう場所ともなる。祈りの宿る場所ともなり、希望を禁じる場所ともなる。 幻想によって縫われた身体のアラベスク、それこそ「人間」のいのちの実相ではないか。身体は〈物〉ではなく〈幻〉として縫い合わされているという視点から、はたして、わたしたちの〈いのち〉のどのような過去と現在と未来が見えてくるだろうか。
~身体をめぐるレッスン
~身体をめぐるレッスン